湊川流路の変遷
現在、新湊川と呼ばれる川は、過去に何度かその流れを変えています。古い順に古湊川、旧湊川、そして現在の新湊川です。
湊川は昔、石井川と天王谷川の合流点付近から現在の湊川公園を経て、新開地方面へ流れていましたが、天井川で堤防が高く、神戸と兵庫が2つに分かれ交通の便が悪くなったこと、神戸港が土砂に埋まってしまうこと、さらに洪水被害がたびたび発生することなどの理由で、現在の新湊川に付け替えられました。
古湊川の流路は明確ではありませんが、平清盛(11世紀)や池田信輝(16世紀)が古湊川から旧湊川へ付け替えたとする伝説があります。
地図:出典「ながたの歴史」昭和52年3月 長田区役所広報相談課
慶応3年に神戸が開港場となり神戸外国人居留地が建設されて以降、神戸地域が次第に発展するにしたがい、旧湊川の流出土砂による神戸港埋没問題が指摘されるようになり、度重なる旧湊川の氾濫と、天井川の旧湊川が東西交通の障害となっていたことから付替え議論が相次ぎました。
この地図は国土地理院発行の地図(2万分の1:明治21年4月)を用いて作成したものです。
明治34年、湊川改修株式会社により旧湊川は石井川と天王谷川の合流点下流の菊水橋付近から付け替えられ、会下山をくり抜いた湊川隧道を流れ、刈藻川に合流する新湊川が誕生しました。一方、旧湊川の河川堤防は削られて、湊川新開地と呼ばれる、後に映画館や芝居小屋が集中する繁華街として発展しました。
この地図は国土地理院発行の地図(2万分の1:大正2年2月)を用いて作成したものです。
この地図は国土地理院発行の地図(2万5千分の1:平成12年1月)を用いて作成したものです。
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