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丹波焼は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯のひとつに数えられ、その発祥は平安時代の終わりから鎌倉時代の初めと言われている。
丹波焼は大別して穴窯時代と登窯時代とに分けられ、桃山末期までの400年間は穴窯が使用されていたが、その後の江戸時代初期以降は現在も使われている朝鮮式半地上の「登窯」に代わった。
登窯は別名「蛇窯」とも呼ばれ、傾斜面を利用して8~9の焼成室が連房式になっている。この中を火が焚き口から斜面に沿って上へ抜けていく直炎式の構造を有する。登窯方式は穴窯方式と比べて火の通りが良く、焼成時間が3分の1程度で済み、量産に適しているなどの利点がある。
近年は連房が4ほどのミニ登窯が多くなっている。先年、丹波立杭窯の作窯技法が国の無形文化財として選択されたのは今日に至るまで使用されている登窯が日本では珍しい古い形式の窯で、その構造を永く記録するためである。
穴窯時代の作品は壺や甕が主で、紐土巻き上げづくりの無釉であったが、登窯の使用とともに”蹴ロクロ”づくりとなり、灰釉、赤土部釉、石黒釉等の釉薬も使用されて作品の種類も増加した。江戸時代になって小堀遠州などの指導により、茶器類分野で「遠州丹波」と呼ばれる優れた名品が生み出されて当時の茶人の絶賛を博した。
現在、生産されている主なものは工芸民芸品(花器、茶器、茶碗、食器、装飾品、置物等)及び工業品(植木鉢、酒樽等)である。工芸民芸品は古来からの伝統技法に新鮮美を加え、釘彫り、葉文、印花、流し釉、筒描き、墨流し等の装飾・文様は現在でも行われている。成型は蹴ロクロを用いるが、これは立杭独特の左回転で、登窯とともに伝統技術を受け継いでいる。工業品の各種成型には機械ロクロや鋳込法を用い、近代的な窯で統一された品物が作られており、益々新機軸を加えつつ産地を挙げて精進している。
阪神・淡路大震災では、大消費地のひとつ神戸・阪神地域の需要が急減したものの、半年程度でほぼ戻り、現在は概ね震災前の水準を維持している。後継者や高齢化に悩むことの多い地場産業が多い中にあって、丹波焼は若年層の円滑な参入により産地の活性化が進んでいる。
なお、昭和53年(1978年)2月に通商産業大臣より「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品に指定された。生産工程図(PDF:20KB)
住所:〒669-2135 丹波篠山市今田町上立杭3
電話:079-597-2034
FAX:079-597-3232
URL:https://tanbayaki.com/kumiai/(外部サイトへリンク)
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